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よい麻が手に入りました

 籠手、刷楯、臑当、兜鉢の裏の浮張、緒処などに使う材料です。
実用の時代は、絹や綿より安価でしたが、今となっては需要も少なく高価なものになってしまいました。

無地のものにノリおきして、柄を染め付けることも考えております。

| 甲冑マメ知識  | 15:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
古格とは何か
古い美術品に見られる、独特の雰囲気のことを古格というようです。
現代のどんな腕の良い職人が作った複製品でも及ばぬ気高さを感じさせます。
私見ですが、甲冑の場合はそれが如実に表れているように思います。
あいまいなので、科学的、文学的に私の意見を述べてみます。

第一に実用品としての責任感です。
設計理念とでも言い換えることもできるでしょうか。
特に甲冑のような防具には命を守る使命がありますから、その他の古美術品とは責任の重さは段違いです。
仮縫いを何度も重ね、当時の戦闘に合った合理的なものに磨き上げられています。

第二に返り血を浴びる覚悟です。
防御武器とはいえ戦で命のやり取りをするわけですから、そのあたりの真剣みは相当のものがあります。

第三に技術面です。
作ることに対する熟れ親しみが、現代作のものとは段違いです。
ですから習作無しのぶっつけ本番で作っています。
作品に最初にあたるひらめきと感動が勢いや強さになっているように感じます。
私は絵も描きますが、下書きの勢いを本番で超えられません。

以上が私の思うところです。

最近、私生活で落ち込むところがあり、記事の更新が滞り申し訳ありません。
これからもがんばって、何か書きますのでのぞきに来てくださいね。

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| 甲冑マメ知識  | 03:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
ちょんまげの由来
日本の兜には天辺の穴という穴が開いている。
平安から鎌倉中期の蒙古襲来まではそこから(もとどり・ちょんまげの総称)を出して兜の安定を図った。

しかし、古墳時代までの衝角付兜には開いていない。
数ヶ月前に岩手県の徳丹城から出土した平安初期の木製兜にも開いていない。
(カヤでかなり分厚いようだ。)
ということは、その時代には髻を結って兜を被らなかったことになる。
聖徳太子の時代には冠を被っていたから、髻は結っていたはずであるが、武人は結っていなかったのか?
様々な憶測がめぐる。

ちょんまげの歴史について研究している人やその著書がないか調べてみたが、手がかり無しである。
ところが最近、「都市と日本人(カミサマを旅する)」という本を読んでいると、面白い記述を見つけた。

清朝の辮髪は狩猟民の特徴であるという。
またインディアンにおいては髪を一房だけ残してあとは剃りあげていた。
それは「この首を取れるもんなら取ってみろ」という戦士の誇りと挑発であったようだ。
髻は切った首をぶら下げやすくするためや、頭皮を剥いで身に着けやすくするためもののようである。

日本においては四世紀に狩猟民である縄文人の末裔、エミシが髻を結っていたことが記録されている。
それを聞いて朝廷は大変驚いたようである。

このように「ちょんまげ」には戦士の誇りと挑発があらわれているのである。


もうひとつの説として挙げたいのが、アンテナである。
巫女が髪を束ねるものを神の降る依代(よりしろ)とされたことから私が勝手に発想した説である。
神との交信をする依代として髻をとらえていたのかもしれない。
鬼太郎が妖気を感じるアレのようなものである。

最近先輩から兜の天辺の穴は九十九の軍神が出入りする穴なので容易に触れてはならないと教わったが、そのような意識があったのかもしれない。



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| 甲冑マメ知識  | 00:27 | comments(0) | trackbacks(1) |
星兜の簡単な変遷

更新の間隔が開いてしまい申し訳ありません。
梅雨なもので・・・

本日は戦闘における星兜の星の意味を考えたいと思います。

平安期に騎射戦が盛んであった時代の厳星兜の星が大きいのは、兜に矢が当たった際の衝撃の緩和で、星に矢が当たることによって力が分散するとの説がある。

その後、騎射戦が廃れ始め、太刀などの打ち物とっての打撃戦に移行するに従い、兜に太刀が食い込み、敵の動きに一瞬の隙を見出すため星は小型化するとの説もある。

遺物のみの状況証拠であるためそれを正確に証明することは難しいし、ツッコミどころもあるが、一つの説として一部にある。

実際のところ実験したわけではないので何ともいえませんが、これだけ時代によって形の差があるのですから、時代によっての戦闘方法に基づく何らかの根拠があってしかるべきだとは思います。

皆さんはどのようにお考えでしょうか?


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| 甲冑マメ知識  | 15:48 | comments(3) | trackbacks(0) |
日本の甲冑武具に使われる鹿の白なめしの革
昔は、脳症なめしと言って、動物の脳症や内臓を使用してなめし、革を軟らかくくした。

一昔前まで、剣道の防具や、その他の革製品に使用されていたが、脳症なめしの仕事が、非常に厳しいものであることから、最近では全く行われなくなり、材料の確保が難しくなった。

他にも川の冷水で揉み洗う、なめしの方法もあるようだが、いずれも非常に厳しい仕事である。

現在は、ホルマリンによる薬品なめしのため、脳症なめしに比べ、革がパサパサして、しっとりとした潤いが無くなった。

これから作られる、甲冑武具等、新作の工芸品の革は、この先100年後、脳症なめしの革を使用した文化財と同じ年月、もつかどうか分からない。
ボロボロになる可能性もある。


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| 甲冑マメ知識  | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の鎧の材料(牛の生革)
日本の鎧は、古来、鉄を主材としていたが、鉄が貴重であったことや、修理に手間がかかることから、「続日本紀」780年に革主体の鎧が登場する事になり、以来、(さね)の部分はこのような牛の生革(きがわ)が使われてきた。

しかし現在では、このような革の需要が減り、和太鼓と鎧以外全く需要が無くなったため、調達が難しい。
しかも和太鼓の革は、あまり厚いと音が悪くなるため2ミリ以下と薄い。
昔は牛を虚勢せずにいたため、厚い革が取れ鎧の材料として使われたが、現在では2ミリ以上の革は皆無に等しく、甲冑を作る人間は苦労している。
水牛の革は1センチ近く厚みのものもあるが、生革の状態での入手は困難である。

入手の残された可能性として、中国など東南アジアが挙げられるが、ルートが未開のためこれもナカナカ難しい。
楽器関係や判子関係で共通のルートがあるので、手に入るか当たる必要がある。


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| 甲冑マメ知識  | 19:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
水銀アマルガム鍍金(ときん)の技法2
粘土状またはジェル状になったアマルガムをヘラまたはハケでバーナーであぶりながら均一に塗る。
場数を踏まないと、ダマになったりムラが出る。

今回TVでは、作例として銅の仏像に鍍金している。

最後にバーナーで水銀が完全に蒸発するまであぶる。
少しでも水銀が残ると、次の日には真っ白になってしまう。

一般に電気メッキは赤く水銀鍍金は青白いと表現される。
見慣れた者が見れば違いは一目瞭然

現在、水銀アマルガム鍍金は設備が無いとやってはならないが、昔は、扇風機を背中側からあてて、水銀を吸わないように施工したようだ。

以上の工程を何度か繰り返し金の層を厚くする。

中にはインチキで電気メッキで何度か金をかけたあと最後だけ仕上げで水銀鍍金を施し、ごまかす輩もいるので、ご注意。

現在ではプロの彫金師でもほとんどやる人はいない。

水銀アマルガム鍍金は消焼(けしやき)ともよばれる。




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| 甲冑マメ知識  | 20:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
水銀アマルガム鍍金(ときん)の技法1
鎧や刀装具の飾り金物には水銀を使った金メッキを施します。

先日、TVでこのようなものを見たので掲載します。

まず、金1対水銀4の割合で試験管の中に入れ熱します。

金と水銀が溶け合い粘土状になります。

この粘土状のものが水銀アマルガムです。




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| 甲冑マメ知識  | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
合戦絵巻の見方
合戦絵巻などに見られる、武装やその他、風俗は、その題材となった事件と絵巻が描かれた時代に、いくらかの開きがあると見なければなりません。

例えば、平治物語絵詞などは、描かれている題材は、平安末の源平争覇の時代の事柄ですが、装束などは、強装束(こわしょうぞく)と呼ばれる、鎌倉様式の男性的ラインのものです。

また絵自体のラインも平安期に比べ、写実的で線も硬く、事件より100年程後に描かれたものと推測されます。

絵巻の描かれた理由の大きな要因としては、教育の一環として、時の権力者やその周辺の者達に見せ、歴史を学ばせたと思われます。


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| 甲冑マメ知識  | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
近代日本甲冑研究の祖 川崎千虎について
川崎千虎(かわさき ちとら)は、日本画家であり有職故実の研究家で、明治に活躍した。

尾張藩士で浮世絵師であった川崎六之の子として名古屋で生まれた。

東京美術学校の教授などを歴任し、日本美術協会にも在籍し、様々な国宝、重文クラスの鎧の調査、研究をした。

その子孫も現在、日展などで活躍している。

日本甲冑研究家のコレクターの小堀鞆音(こぼり ともと)、関保之助(せき やすのすけ)など甲冑の世界のビックネームの師であり、その著書に
「甲冑武装沿革考」「名印部類」「大石真虎落款印譜」「小学図画入門」などがある。 


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| 甲冑マメ知識  | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0) |