私はこの日までの半年間、とにかく間に合わせることのみを目標にやってきました。
しかし、本番で実際に着用して流鏑馬をやる段になると、壊れないか?緒が千切れないか?など猛烈な不安が襲ってまいりました。
騎射戦用のみに洗練されたこの鎧は、試走したときにも感じたことですが、練習なしでブツケ本番で使用できるものではないと実感しました。
例えるなら、普通車にしか乗ったことがない人がF1カーに乗るようなもので、相当の練習が必要であったということです。
私も着用者も、ここまで難しいものだと思わずに安易に本番に臨んだことが、何といっても痛恨の極みであったと言わざるを得ません。
まず、肩上(わたがみ)とを結ぶ執加緒(しかのお)と受緒(うけお)についてです。
今回は予算の都合でアクリル製の機械組の角八津10mmを使用しました。
しかし、紐の組み方と材質の都合で、古式の結び方である四方手結びでは、馬が走るときの上下運動に結びが耐えられずに緩み、袖がずってしまいました。
途中より丸結びに変えて対処しましたが、それまで射手は満足に弓を引くことができませんでした。
袖の重量は射向(左手側)が2.4kg馬手(右手側)2.3kgで、胴が射向側が重い分を反対側の袖を若干重くすることによりバランスを取っているものと思われます。
それから大鎧全般にいえることですが、胴の前側より後側の札が厚く倍ほども重量に違いがあります。
この鎧はそれが顕著で、着用するとかなり後ろに引っ張られます。
馬で駆けるときには必ず前傾姿勢でないと落馬する危険すらあります。
平安鎌倉期の絵巻などの騎馬武者を見ても、駆けるときはもれなく前傾です。
今回は制作終了、即本番であったため、稽古時間が皆無であったことは、残念でなりません。
胴の重量は13kg
兜は2.7kg
総重量21kg(栴檀板・鳩尾板含む)
これだけの重量ですから、馬が走るだけで、ズシンッ!ズシンッ!という衝撃がかかるため、上下運動の激しい斜体歩の馬でなく、並足で滑るようにして走る側体歩の馬でないと、大鎧を着ての騎射は難しいと思いました。
しかし、その迫力は見るものを圧倒したようで、「走ってるだけで、見ごたえがあった」など様々な方に励ましの声をかけていただき、ほんの少し報われた気がいたしました。
かけていただいた声の中で最も響いたのは「佐藤君の人生の中で、この日起きたことは必ず何かになる」との言葉でした。
兜のシコロ(首を覆う部分)の左右に広がる吹返しは何とか左右対称におさめることができました。
胸板から高紐を出す方法は果敢にも、遺物は無いものの、そうではないかと推測される中取り式に挑戦し、あえなく失敗しました。
戦い終えた鎧の正しい置き方
そして画面奥、精神的疲労から倒れこむ私
とにかく今は「燃え尽きた・・・」感が抜けるまで、少し休憩したいと思います。
10月からは雲南省の骨董屋から出た中国鎧の復元です。
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