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山本勘助画像完成
山本勘助は江戸前期に書かれた甲陽軍艦に頻繁に登場する。
しかしこれは、物語性が強すぎ鵜呑みにできない。
近年古文書の発見により、勘助が実在の人物であることが証明されたが、依然謎の多い人物である。

今回、絵によって復元するにあたり、かなりの創作を余儀なくされたが、隻眼で片足が不自由、尚且つ非常に醜い男であったという甲陽軍艦にある特徴を考慮し表現した。

今でも世界の奮戦地域に行けば分かるが、現地の人間の目つきは、飢えた野犬のごとくであり、非戦闘地域の人々のような穏やかさは無い。
日本の戦国時代のドラマや映画に見るそれらは、全くそのことを考慮せず製作されているため、緊張感や陰惨さ残酷さに欠けるためリアリティが無く見るに耐えない。

今回、勘助の表情はその点を考慮しグロテスクを意識した。


武装について
は高岡神社にある古頭形を、前立は金剛寺に伝わる頭形の三鈷剣を採用した。
シコロは杉形とした。

は金剛寺に複数ある韋包腹巻を参考に上半分を本小札毛引威で下半分をリサイクル札で燻韋包(ふすべがわつづみ)とした。
韋所は絵韋とせず、鮫韋とした。

は当時の戦闘において実用的であった壺袖とし、それぞれ黒韋肩白威とした。

小具足や刀剣も室町時代末期から戦国時代初期の時代に合わせ、それぞれコーディネイトした。





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| 武者絵、図案 | 00:23 | comments(0) | trackbacks(3) |
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山本勘助
山本勘助山本 勘助(菅助)(やまもと かんすけ、明応2年(1493年)? - 永禄4年9月10日 (旧暦)|9月10日(1561年10月18日)?)は、戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。諱を晴幸、出家後道鬼斎を称したというが、信憑性はない。武田二十四将の一人で、武
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