今まで描きためた絵韋(えがわ)の画像をUPします。
これら有職文様は、いずれも平安から鎌倉にかけて使用されたものです。
これほどの優れた図案でありながら、日常まったく目にしないのは非常にもったいない。
厳島神社 国宝 小桜威大鎧の袖の裏の牡丹襷霰地獅子丸紋
(ボタンダスキ アラレジ シシノマルモン)
この時代の獅子は未だ図案化されておらず、写実的で躍動感あふれる動きがる。
平安末から鎌倉極初の図と思われる。
厳島神社 国宝 小桜威大鎧の弦走り韋の牡丹襷霰地蚊窠紋
(ボタンダスキ アラレジ カモン)
瓜を輪切りにした断面を図案化したもので、窠(か)という。
霰地(ツブツブのこと)の四方のつなぎ目が目立たぬよう、モミジ?のような葉を二枚撒いている。
厳島神社 国宝 小桜威大鎧の兜鉢裏の矢車巴紋
(ヤグルマト モエモン)
巴の図には各時代の個性が出やすく時代判定の基準になる。
頭が小さく、尾が長いことが、平安後期の特徴を現している。
復元にあたって、図版の画像が不鮮明なため困難を極めたが、先の厳島神社台風復興支援展の際に、単眼鏡と懐中電灯を駆使し、つぶさに観察して復元した。
宮内庁蔵・逆沢瀉雛形鎧・通称聖徳太子玩具鎧の矢車七曜紋
(ヤグルマ シチヨウモン)
上の矢車巴紋と同じく、現在残っている鎧の絵韋の中でも特殊なもので、花襷のような武張った印象が薄く、王朝文化を色濃く反映したもので、平安後期の図と思われる。
大山祇神社 国宝 紺糸威大鎧の兜の吹返の花襷霰地獅子丸紋
(ハナダスキ アラレジ シシノマルモン)
襷の花柄が稚拙ではあるが、霰は密である。
霰の四方の合わせ目の処理が葉などの図で隠されず見苦しい。
獅子の紋様であるが、実物を何も観察するうちに、獅子の顔を発見した。
この図を復元した際には、獅子の顔が確認できなかったため、意味不明の毛むくじゃらの模様になった。
今後、修正を試みたい。
大山祇神社 国宝 紺糸威大鎧の蝙蝠付の牡丹霰地獅子丸紋
(ボタンダスキ アラレジ シシノマルモン)
上と同じ鎧に沿う絵韋の図ではあるが、襷の花は線が硬いが、牡丹のように見える。
獅子の紋様は実際には何の紋様なのか不明である。龍である可能性も拭えない。
図案全体の線の硬さから鎌倉の前期から中頃のものと思われる。
御嶽神社 国宝 赤糸威大鎧の瑞雲襷霰地獅子丸紋
(ズイウンタスキ アラレジ シシノマルモン)
襷の瑞雲と思われる紋様は実際は何なのか正確には不明である。山からの川の流れにも見える。
霰のつなぎ目が全く分からず、高度な業が高級品の証である。
獅子の紋様も伸びやかで躍動感があり、一つずつ表情が違うため復元は困難で多くの時間を費やした。
鎌倉期の図案化された絵韋より、自由で写実的であり平安末と見て相違ない。
最終確認のため現物を調査したが、平安期の線の美しさと、今回復元した線の違いに愕然とした。
今回復元した絵韋の図案は半数であり、これからも他の図案の復元を試みていきたい。
絵巻などに残る絵韋の復元にも挑戦したい。
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